はじめまして。
このブログに足を運んでくださり、ありがとうございます。
私はこれまで、数学や武道に長く向き合いながら生きてきました。
一見すると、この二つはまったく別の世界のように見えるかもしれません。
けれど私の中では、不思議とひとつのところでつながっています。
それは、「見えないもの」に支えられているということです。
武道には、間合いや気配、崩しの感覚があります。
数学には、まだ言葉にならないひらめきや、理屈になる前の感覚があります。
どちらも、理論だけでは届かない世界がある。
私はそうしたものに、ずっと惹かれてきました。
その中で、深く心を動かされたのが、岡潔先生の語る「情緒」という言葉です。
一般に「情緒」というと、感情的であることや、雰囲気のようなものとして捉えられがちです。
けれど岡潔先生の語る情緒は、それとは少し違うように思います。
理論と直感。
論理とひらめき。
そうしたものがまだ分かれる前の、心の動き。
私は、岡潔先生の随筆の妙は、
その曖昧でありながら確かに存在するものを、
「情緒」という言葉で掬い上げたところにあると感じています。
今の時代は、とても便利です。
知りたいことはすぐに調べられる。
欲しいものはすぐに買える。
効率よく生きる方法が、いくらでも見つかる。
「コスパ」や「タイパ」という言葉が当たり前になり、
何が得か、何が無駄か、何が正解かを、
すぐに求める時代になりました。
もちろん、合理性は大切です。
私自身、物事を構造的に整理し、
理屈で考えることを大切にしてきました。
けれど、人は理屈だけでは生きられないとも思っています。
心が満たされること。
納得してお金を使うこと。
誰かの言葉に救われること。
理屈では説明しきれないのに、確かに人を前に進めるものがある。
だから私は、お金についても考えます。
お金は、生きるために必要なものです。
けれど、お金に振り回される人生にはしたくない。
たくさん稼ぐことよりも、
何に使うのかを知ること。
何に心が動いているのかを知ること。
そうすることで、お金に執着しなくて済むようになるのではないかと思っています。
支出には「投資」「消費」「浪費」があると言われます。
私は、浪費が悪いものだとは思っていません。
浪費は、人の心を潤すものです。
ただ、それが浪費であることに無自覚なまま、
消費だと思い込み、
気づかぬうちに生活を苦しくしてしまうことはある。
だからこそ、自分にとって必要な浪費を選び取ること。
そのために、自分の心の動きを知ること。
それもまた、情緒を知ることなのではないかと思っています。
このブログでは、そうした日々の中で感じたことを、
私自身の実感を通して書いていきたいと思っています。
数学的に物事を整理すること。
科学的に見ること。
Behavioral Economicsの視点から人の行動を考えること。
哲学の言葉を借りて人生を見つめること。
そうしたものを、ただ堅苦しく並べるのではなく、
私という人間を通して、
身体の中を真っ直ぐ突き抜けていくような、
引っ掛かりのない言葉として届けられたらと思っています。
お金のこと。
数学のこと。
武道のこと。
人生のこと。
そして、情緒のこと。
合理性だけでは生きられない。
けれど、情緒だけでも生きられない。
そのあいだを揺れながら、
今の時代だからこそ、情緒的に生きてみる。
そんな日々の思考を、ここに残していきます。
どこかで共感してくださる方がいたら、
一緒に語らえたら嬉しいです。
これから、よろしくお願いします。

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